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「承久の変」で配流となった順徳上皇の火葬塚。真野御陵の通称で呼ばれています。佐渡在島22年の末、46歳で崩御。火葬跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚です。御遺骨は翌年帰京、父帝後鳥羽上皇墓所のかたわらに安置されました。火葬塚は御陵と同格扱いで宮内庁の管理。近くに順徳上皇を祀った真野宮があります。
開山の阿仏房日得は、もとは順徳上皇に仕えた北面の武士とも伝わります。妻千日尼とともに自宅を寺として開いたのが始まり。配流中の日蓮聖人に帰依し、手厚く支援したことで知られます。日蓮聖人筆の曼荼羅や消息をはじめ、多数の重文重宝を所蔵。広い敷地には県内唯一の五重塔や日野資朝の墓などがあります。
「正中の変」で佐渡配流となり刑死した日野資朝を祀る古社。資朝卿の息子阿新丸(くまわかまる)の仇討を助け、処刑された大膳坊も合祀されています。境内の能舞台は宝生流の太夫家に選ばれた「国仲四所の御能場」の1つ。弘化3年(1846)再建で、茅葺屋根の端正な姿を今に伝えています。
配流の世阿弥が滞在した寺。「雨乞いの舞」に使ったと伝わる新潟県最古の面「神事面べしみ」を所有。6月には本堂の蝋燭の灯りのなかで「正法寺ろうそく能」が開催されます。「神事面」の一般公開、講演会なども併せて行われます。「本堂」「観音堂」「山門」などは国の文化財指定。
順徳上皇が崩御まで過ごした住居跡。黒木とは、丸太などで造営された粗末な建物をさしたと推定されます。明治期に地元の川上賢吉氏の首唱により整備されてきたもの。昭和5年行啓の皇太子(昭和天皇)による「御手植えの松」や斎藤茂吉、与謝野寛らの句碑、歌碑があります。
荘厳な杉木立の参道が続きます。京都清水寺の千手観世音菩薩を深く信仰した桓武天皇により創設された寺。居ながらにして遠い京都の清水寺を参拝したような配慮が見られます。本尊は京都清水寺と同様の千手観世音菩薩。「清水の舞台」を模した救世殿(ぐぜでん)からは四季の眺望を楽しめます。
新穂ダム近くに建つお堂。木食清眼作とされる「大日如来坐像」をご神体としています。牛の守護神として、古くから牛飼い人が牛とともに徒歩で訪れました。“牛の絵馬”や“牛のわらじ”が多数奉納されています。今も1月8日の例祭には、島内の畜産農家や関係者が一年の無事を願って集まります。
弘法大師開創と伝わる古刹。牡丹をはじめとする花の寺としても多くの人が訪れます。「十一面観音立像三体」(国重文)など多数の文化財を所有。古来より観音像は広く知られ、松ヶ崎に上陸した世阿弥も山越えの途上で礼拝。その様子は世阿弥の小謡曲舞集『金島書』にも記載されています。