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文永8年(1271)、幕府批判の名目で佐渡配流となった日蓮聖人。約2年半の滞在で島内各地に足跡を遺しました。代表作『開目抄』や曼荼羅などの事歴はもちろん、語り継がれるエピソードも多く、宗派を超えた存在であることを物語っています。国仲エリアは、たっ居先の根本寺、妙照寺はじめ、聖人ゆかりの名刹が多いエリア。赦免後も交流を続けた阿仏坊日得の妙宣寺もそのひとつに挙げられます。
文永8年(1271)配流の日蓮聖人第一たっ居。「塚原問答」『開目鈔』などの事歴が残ります。阿仏房妙宣寺、一の谷妙照寺とともに日蓮宗佐渡三本山のひとつ。江戸時代には、金山の山師がその財力で「祖子堂」「本堂」などを建立・寄進。現在では、約一万七千坪の境内に堂宇二十九棟が建ち並びます。
日蓮聖人高弟の一人、日興筆の曼荼羅二幅を寺宝とします。最初の曼荼羅が書かれたのは延慶3年(1310)。大和房日性ら中興の地頭一族により開かれた寺。順徳上皇の「黒木御所跡」が近く、上皇が京都から持ち込んだ守り本尊のひとつ「木造聖観音立像」を有することでも知られています。
日蓮聖人の高弟の一人日朗を開山とし、その弟子日行により開創。鎌倉から赦免状を運んできた日朗が日蓮聖人に手渡したとされる場所。近くには「日朗坂」があります。境内には、赦免状を披見した際に腰掛けた「赦免石」、袈裟を掛けた「袈裟掛けの松」など、日蓮聖人ゆかりの史跡が残ります。
日蓮聖人が庵を結んだ古刹。配流当初の塚原三昧堂から移り、文永11年(1274)の赦免まで約2年半にわたり滞在。『観心本尊抄』を著し、続く『大曼陀羅』によって教義を確立させた地。聖人自ら山号・寺号を授けた寺としても知られ、日蓮聖人筆と伝わる本尊はじめ、日興や日静ゆかりの品、赦免状などを有します。
開山の阿仏房日得は、もとは順徳上皇に仕えた北面の武士とも伝わります。妻千日尼とともに自宅を寺として開いたのが始まり。配流中の日蓮聖人に帰依し、手厚く支援したことで知られます。日蓮聖人筆の曼荼羅や消息をはじめ、多数の重文重宝を所蔵。広い敷地には県内唯一の五重塔や日野資朝の墓などがあります。
一谷(いちのさわ)の配所に移った日蓮聖人が、毎朝この丘から安房の両親を偲び妙法を唱えたと伝わります。朝日を拝む「望郷思親の祖師」の銅像は、佐渡赦免700年を記念して昭和53年(1978)に建立されたもの。境内には「袈裟掛けの松」「御手清水」などが点在するほか、巨木「三光の杉」が枝を伸ばしています。
日蓮聖人に帰依した日量により弘安2年(1279)に建立。聖人が佐渡に第一歩を踏み入れた地に建つ寺であり、霊蹟として宗門史跡に認定されています。「着岸の祖師」と呼ばれる日法作の祖師像はじめ、遺品などゆかりの品を所有します。400mほど離れた所には、上陸後に夜露をしのいだと伝わるケヤキの大木「おけやき」があります。
サツキの名所として知られ、庭園と白壁の長屋門が美しい古刹。本堂など7堂宇が国の指定文化財。北面の武士遠藤盛国が順徳上皇供養の日々に日蓮聖人と出会い、その高弟日興を開山としたと伝わります。日蓮聖人筆曼陀羅本尊三幅、赦免となり佐渡を去る際に描いた「大黒天画像一軸」などを有します。