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国仲地域の歴史やビュースポットなどご紹介! 知っておくと旅がより楽しくなります!

順徳上皇 所縁の地

語り継ぐ悲運の生涯

順徳上皇を偲ぶ

討幕計画の失敗により順徳上皇が佐渡配流となったのは承久3年(1221)。在島20年余り、都への復帰叶わず佐渡で崩御した上皇の墓は「真野御陵」の通称で親しまれています。隠岐へ配流となった父、後鳥羽上皇を思う歌「いざさらば 磯打つ波にこと問はむ 隠岐のかなたには何事かある」の石碑が着岸地と伝わる恋が浦に建つなど、さまざまな史跡や伝説が風雅な上皇の面影を今に伝えています。

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トキ
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A

真野御陵

佐渡に散った順徳上皇の墓

「承久の変」で配流となった順徳上皇の火葬塚。真野御陵の通称で呼ばれています。佐渡在島22年の末、46歳で崩御。火葬跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚です。御遺骨は翌年帰京、父帝後鳥羽上皇墓所のかたわらに安置されました。火葬塚は御陵と同格扱いで宮内庁の管理。近くに順徳上皇を祀った真野宮があります。

住所
〒952-0313 新潟県佐渡市真野457 [ google map ]
アクセス
両津港から車で約40分
最寄のバス停
真野御陵入口(小木線)から徒歩10分
駐車場
乗用車 50台、大型バス 30台
B

二宮神社

忠子女王を祀る優美な神社

順徳上皇の第二皇女忠子姫を祭神とする神社。もとは女王誕生に際して築かれた仮殿の場所で、順徳上皇が訪れた際に野菖蒲が咲く様子を見て、菖蒲殿と呼んだと伝わります。18歳で亡くなった忠子女王(玉島姫守)を祀り、のちに「二宮大明神」として社殿が築かれました。境内には宮内庁管轄の御墓所があります。

住所
〒952-1308 新潟県佐渡市二宮232-2 [ google map ]
アクセス
両津港から車で約30分
最寄のバス停
鍛冶町中原(本線)から徒歩20分
駐車場
C

慶宮寺(長女)

順徳上皇第一皇女ゆかりの寺

順徳上皇の第一皇女慶子宮が生まれ育ったと伝わる寺。境内には、産湯に使ったとされる井戸や御手植えの桜が残ります。別当を務める近くの一宮神社には慶子宮(島照姫大明神)が祀られていています。また、八祖の像を祀る回転式厨子を備えた「八祖堂」が建つことでも知られます。

住所
〒952-0212 新潟県佐渡市宮川甲457 [ google map ]
アクセス
両津港から車で約30分
最寄のバス停
宮川(南線)から徒歩3分
駐車場
10台
D

黒木御所跡

順徳上皇22年間の行在所

順徳上皇が崩御まで過ごした住居跡。黒木とは、丸太などで造営された粗末な建物をさしたと推定されます。明治期に地元の川上賢吉氏の首唱により整備されてきたもの。大正5年行啓の皇太子(昭和天皇)による「御手植えの松」や斎藤茂吉、与謝野寛らの句碑、歌碑があります。

住所
〒952-1212 新潟県佐渡市泉甲440-子 [ google map ]
アクセス
両津港から車で約25分
最寄のバス停
泉(本線)から徒歩10分
駐車場
15台
E

順徳上皇石碑群

着岸の地に建つ石碑群

真野湾を背にゆかりの碑が建っています。父帝後鳥羽上皇を思う和歌を刻んだ「恋ケ浦碑」、地元の人々との交流を伝える「順徳上皇の稗粥物語碑」。さらに、大正5年(1916年)、皇太子時代の昭和天皇が真野湾に入港し、順徳上皇火葬塚と真野宮御参拝を記念した「東宮殿下御上陸記念碑」。揮毫は随行の元師海軍大将東郷平八郎。

住所
〒952-0317 新潟県佐渡市豊田 [ google map ]
アクセス
両津港から車で約35分
最寄のバス停
豊田(小木線)から徒歩5分
駐車場
共有あり